「或る白い少女」
先生。
来てくださったんですか。
私はずっと此処でいい子にしてましたよ。看護婦さんたちに訊けば分かります。
えっ? あ、いけない。またカンゴフさんって言っちゃった。今は看護師さんって言うんでしたね。いっつも間違えちゃう。
何も言っていない、別に言いやすいほうでいいって? だって私が今「看護婦」って言ったとき、先生のこめかみが少しピクッて引きつったんですもん。先生はそういうの気になさるから。
でも、ずうっと此処にいるから、急に呼び方を変えろって言われても、意識しないとなかなか難しいです。
私は「かんごふ」の方が好きです。「ふ」って柔らかい感じがするでしょう。「し」だなんて、死を連想させて恐いばっかりで。
先生、これ見てください。
(蝶々のモチーフのヘアピンを示す)
ええ、かわいいでしょう。母が私にくれたんです。昔は髪が短かったけど、今は可也伸びてしまったから似合うでしょうって。短くてもヘアピンぐらいできるのにね。
でもこれ嫌いなんです。かわいいとは思うけど……青色だって私の好きな色だし、大きさだってちょうどいい。
先生はお分かりになりませんか? 理由をですよ。……答えはですね、真ん中がイモムシだからです。羽は綺麗ですよ。でも真ん中が気持ち悪いんです。あからさまに虫じゃないですか。
そうだ、子供の頃に母が持ってた着物にも蝶々の柄があって、私はそれがすごく嫌だった。服の布にイモムシがいるんですよ。気持ち悪い。
先生は男のひとだから分からないでしょうね、きっと。
そうだ、私最近すごく思うことがあるんですけど、先生にもお分かりになるかしら……。
(右手をすっと出して)
こう、手を見てください。いいですか? 指はちょっと曲げて。なにかを掴むときみたいに。
自分の手から、細い肉が5本も生えてるの、おかしくありません? 気味が悪い。おお、両手で10本だ。見えてきませんか? 奇妙に。
わからない? やっぱりお医者さんには難しいのかしら。そういう、医学書とかの図面で仕組みを分かっていらっしゃるんでしょう。
私はあまり学校に行ってないし、体のことなんて詳しくないから知らないけど、先生は仕組みをしってるから恐くないんだわ。お仕事ですものね。
私がこうしてべらべらと喋っているのを大人しく聞いているのも、お仕事ですもんね。私分かってます。だから、遠慮なくべらべら喋ってやるんですわ。どうせ記録みたいなものにとってるんでしょう。そう攻撃的になることはないって……。いやだ、私攻撃的になんかなってません。ただ、先生がどういう立場でここにいらして私のお喋りを聞いているのか、ちゃあんと分かっていますって、そう言いたかったんです。怒らないでくださいね。……お仕事だから、怒るフリをするだけでしょうけど。いいんです、そんな捻くれたことは、どうでも。
夢の話をしましょう。夢は相変わらずよく見ます。私のさいきんの夢にはひとつの傾向があるんです。子供の頃の自分の横に今の自分がいて、子供の頃の私が感じたことや疑問に対する答えを、そばで囁いてやるんです。
ちゃんと夢ですよ。
いや、会話じゃないです。子供の頃の自分がちゃんと神の視点から見えて、今の私はスクリーンには映ってなくて概念として存在しているというか。
……つい難しく言ってしまいましたけど、先生にはお分かりでしょう。