「ねずみと私」

私は子供のころ、ねずみを飼っていました。そのねずみは白いねずみでした。縁側の、雨戸のかげのすみっこに、籠を置いて、そこでいつも世話をしていました。
母は、放任主義なひとでしたので、特に咎めるでも、歓迎するでもなく、私のそうした行為を容認していました。
夕方、学校から帰ってくると、そのねずみに餌をやりました。学校の飼育小屋から ウサギや小鳥用の餌をちょっと拝借してきては、与えていました。水は、やはりウサギ用の給水器を学校からこっそりを借りて(ねずみには少し大きいのですが)、籠の中に取り付けていました。
私はねずみに名前をつけませんでした。猫を5匹飼っている友達は、猫にそれぞれ、すみれ、だとか もも、だとか草花の名前をつけてかわいがっていましたが、私はそのねずみのことを あえて「ねずみ」と呼びました。別に恥ずかしかったわけではなく、私は ねずみを可愛がっていましたが、なにか特別な名前をとけてかわいがることが愛情表現だとは考えませんでした。私は、子供らしさに欠ける子供であったので、 ちーちゃんだとか しろちゃんだとか かわいらしさを強調した名前は苦手でした。それは、私が 自分の名前を嫌悪しているせいもあったのでしょう、名前など、ただ識別するためにあればいいと思って、こだわりたくありませんでした。いま思えば、その時点で、こだわりは生まれていたのでしょう。
餌と水替えはまめに行っていましたが、帰りが遅くなった日や、特に疲れた日などは、面倒で仕方ないので、放置する日もありました。猫や犬なら、ある程度の大きさの姿を持ち、餌をねだってくるのでしょうが、縁側から離れた子供部屋で読書などしていれば、物音のひとつもしないし、ねずみのことなどすぐに忘れることができました。
世話を怠る度、私は自分を責めました。次の餌替えのとき、ひどく汚れた小屋の中を目にするたび、「ああ自分はなんということをしてしまったんだろう」とひどく後悔し、重く息苦しい気持ちに支配され、しばらくは自分の食事もままならないのです。そうして二度とやるまい、と誓っても、数週間後にはまた繰り返すのです。布団の中で、漠然と神さまに懺悔したこともあります。「私の手によって生死が握られている、小さなしろいねずみが、私の怠惰のせいで苦しめられることをどうぞ憐れんで、私を戒めてください。」


ねずみは、そうして2年のあいだ、あの家の縁側の隅っこで生き、そうして冬になりました。私は、中学入学を控え、欠損した子供らしさをむしろ優遇される周囲の変化に安心していました。そのことを思い出そうとするのですが、どうしても、その間の ねずみのことが思い出せません。確かに、世話はしていたはずです。でも私はどうしても、12歳の自分が ねずみの世話をしていた姿を思い浮かべることができないのです。放置していたわけではありません。日々の水替えや餌やりが事務的に、当たり前になっていたのでしょうか。かといって、母がかわりに世話したなど、考えられません。そのころ母は、身ごもっていたのですから。
ある冬の朝、(すごく、久しぶりな気持ちだったと記憶しています)縁側の隅に行くと、籠の中はしずかで、でも夜行性のねずみは 朝寝ているのだと思い、いつものように――そのはずなのですが、すごく久々に思えたのです―― 「おーい」と声をかけながら、新聞紙をちぎった床材の敷いてある籠の中の、ティッシュの箱を切ったもの(それがねずみの小屋がわりなのです)を揺さぶってみました。
ねずみは固まって動きませんでした。死んでいたのです。
私は、手に持った餌を落として、思わず正座でその場に座り、しばらくぼうっとしていました。
悲しくない。ちっとも悲しくないのです。涙が出ない。まず、そのことを考えました。私という人間は、ねずみが死んだことより、ねずみの死んでいるのに悲しくない自分のことをまず考えたのです。なんという浅ましさ、身勝手さ。
子供の気まぐれで哀れなる小動物を飼い、気まぐれに世話をし、死なせてしまった――? それとも、寿命だろうか。
バターの箱にティッシュを詰め、そこにねずみを押し込んで、庭の土の下に埋めました。よく、小さな子どもが金魚の墓を立てるときのように、棒きれに名前と享年を書こうと思ったのですが、そのとき、「ああ、このねずみには かわいそうに、名前すらなかったんだ」と思いました。
幼い自分の小さなこだわりが、まさかこんなところで復讐してくるとは思いもよりませんでした。
私は、仕方なく、「ここに眠る。××年×月×日」とだけ書いて、簡易的なお墓を完成させました。
それからは引っ越しもして、妹も生まれたので、生き物を飼う機会はなかったのですが、私は、あの小さな白い あの子に 名前さえ与えなかったわたしは、生き物を飼う資格などないのだと信じ切っています。

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