「灰色のまち」

慢性的な空虚に敬虔なクリスチャンである母を持つ少年と少女の双子は、灰色の息をしているのだといった。古来、日本では男女の双子は特異なものとして考えられてきた。前世で心中した恋仲の男女であるから、婚姻させるべき、或いは離別すべき。また、世界の縮図―箱庭的な―ものだとも捉えられた。お誂え向きに、男女が揃って誕生する。ひとつの小宇宙だと、彼らの祖父は短歌に詠んだ。
灰色の息をしている少年と少女は、灰色の建物が並ぶ灰色の空をした灰色の街で生きていた。自らが発する二酸化炭素はうすい灰色なんだ、と弟は言う。姉は反論はせずとも、濃い灰色じゃないか、と自分の中で思う。でも言わない。弟は内向的で大人しく、どこか老成した感じもするのだった。姉もやはり内向的で、人見知りであった。ただ二人とも、最も似た運命を生きるお互いに対しては、仲良く時に饒舌に、時に辛らつに語り合い、信頼していた。
消極的で、ぼんやりした輪郭の母親が、財布を失くした、と呟いた。弟がまずそれを聞いた。そのとき姉はいなかったので、後に姉が帰宅した際に弟はそれを伝えた。毎月得るお金を、落としてしまったのか? 姉は動揺した。苦い唾液が、やはり灰色の唾液と胃酸が喉に上ってくるのだ。心像が半分鉛になる感覚。
とりあえず、今日の夕食のことを考えよう、と弟は言った。それはいい考えだと姉は思った。今日の夕食と、寝床について優先して考えるのがいいと、いつも祖母が言っていたからである。
住宅街の裏道を通ると墓地があって、その先に小さな山と野原がある。この地区の住民が共同で管理している、小さな畑を目指して二人は歩いた。墓地の遠くには、海が見える。その海の色はすべてを飲み込むような深い深い緑色で、姉はいつもその海を仰いでは「海が青いなんて、嘘だ」と思っていた。いつでも空は灰色で、海は緑だった。
墓地を通りがかると、いつも何故か絶えない線香のにおいと、菊の花の香りがした。姉は線香のにおいは苦手だったが、菊の花を好んだ。この地区では、菊の色は白に統一されていて、姉はまだ生まれて一度も黄色い菊を見たことがなかった。
「おばあちゃんちのにおいがする」と弟が言った。弟は線香のにおいがすきなのだという。同じ双子でもやっぱり細かな嗜好は違うんだな、とお互い話した。
白い菊の添えられている、しかし簡素な墓石で構成されたお墓。卒塔婆もたくさん刺さっている。昔、ここに飼っていた猫を埋めたことがある。この墓地はいつも静かで、灰色の町のなかで、やっぱり灰色だけどでもすこし、青色だった。それは紺や紫を孕んでいた。
なんだか久々にここへ来た気がする。姉は一本の菊をつかみ、自分の鼻先にもってきた。ぼんやりと、今の自分は母親に似ているのかもしれない。一瞬の白昼夢の刹那、弟が手を引いて「急ごう、」と言った。菊のかすかなにおいが鼻を掠めた。
山への道の入り口は、鬱蒼とした木々に覆われている。この街に暖色があるだろうか、と姉は考えた。たまに飛んでいるアゲハチョウの黄色、たまに咲く花の赤、それぐらいしか思い浮かばない。
お地蔵様が数体並んでいる。やっぱりこの世界は灰色が多いのだ。地蔵が首から下げている、涎掛け(なのだろうか? 少女の知識では判断ができない)は紫色をしていた。紫は暖色かしら。赤みが強いか、青みが強いかが肝心だな。
「すずめ、すずめ」と弟が呟いた。見ると、米粒が供えられていて、それをスズメが4,5羽で啄ばんでいる。自分たち以外の、虫でない生き物を久々に見たな。なんだか自分は考えてばかりだ、時間があって暇だから考えてしまうのだ。今日の夕食と、寝床についてだけ、考えないと。母みたいになってしまう。姉は頭の中で祖母の言葉を繰り返した。
どうも自分は 油断していると ふわふわと、夢遊病患者のように彼岸に入り浸り、ぼうっとしてしまう。それをいつも弟が手を引いたり声を掛けてくれるから、はっと戻ってくることができる。自分は、いつも、すぐにでも眠りに落ちそうな2,3歳の子供だ。長いまつげはむしろおもりになっていて、ますます彼岸へと足を速めるばかり。
ぼんやりと見上げる灰色の空に、ふいに視界を切り裂く黒いカラス、弟はまさに姉にとってカラスで、そう思うと彼の漆黒の黒髪も、濡れたような印象を得始め、結果的にまた少女は彼岸へと歩んでいった。
いけない。今日の寝床。彼らの家はとても狭かったので、お互いの布団の間に衝立をして、姉は母の隣に布団を敷いた。もっとも、小さい頃は三人おんなじ布団で眠ったものだが、彼らは成長をしたので、別々の布団で眠り、さらには衝立を用いる必要があった。

何も自意識過剰なのではない。眠りにつくまえ、ふと隣の顔と目が合ったら、いくら姉弟でも気まずかったし、なんだか恥ずかしかった。弟はいつも横向きに寝ていた。
母親は、目立たない小さなひとだった。過去形で語ってしまうのも、現在の彼女はもはや生きていない、とさえ言い切れるくらい、無気力で、声を上げることすら稀であるからだ。まだ、双子が小さかったとき、彼らの母は いくらか若く、美しく、笑うことも今に比べれば多かった。姉にとっても弟にとっても、母そのひとは、白いひとであった。
どうして今の母は、もう白くもなく、かといって黒いわけでもなく、ただぼんやりと生きているのかさえ疑わしい、小さな弱い生き物になったのだろう。少女は母について思い巡らせると、いつもそれを考える。父親のいない家庭を、ひとりで支えてきたからか、もう限界がやってきた――なんて、噂好きの近所のおばさんみたいだ。
父親がいない家庭であることを強く意識してきたことはなかった。いない、といっても亡くなっていたり離婚していたりするのではなく、たまに父はひょっこりと家に帰ってくるからだ。しかし姉も弟も、それが本当の父親なのか、母が愛するひとなのか、全く知らない。あまりにも存在が小さすぎるし、その男に会う時間もとても少ないから、いつもはその男――父、という存在を忘れていることだってある。


モンシロチョウが飛んでいた。低空飛行を続ける蝶は、そのままどこかに消えてしまった。

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