「女の子の嫉妬で団地と公園が燃えた話」
私はそのころ中学生だった。とてもおとなしい性格で、友達はあまりおらず、毎日さみしい思いをしていた。
あるとき私は体調を崩して保健室へ行った。そこでひとりの少女と出会った。彼女はいつも保健室にいた。訊けば、いつもお昼ご飯を保健室で食べているのだという。出会ったその日に私は彼女と一緒にお昼を食べた。学年もクラスも一緒だと後で気づいたが、教室で彼女を見かけることはなかった。
彼女はとても落ち着いていた。話を聞くのも、話すのも上手で、私は感心した。彼女に憧れ、彼女のようになりたいと強く願った。
彼女は私のほかに仲のいいひとはいないようだった。私は、彼女の隣に当り前のように座っている自分を信じられなかった。こんなに、優しくて強い人がどうして私なんかを選んでくれたのだろう。彼女の落ち着いた微笑みが好きだった。ほかの女の子みたいに、こぼれるような元気はないのだけれど、花のように綺麗だった。
彼女の長い髪が好きだった。真っ黒で、艶があり、強い意志を秘めた瞳と同じく、とても存在感があった。自分のふわふわとした癖っ毛を恥ずかしく思った。彼女はその髪を三つ編みにしていた。私は彼女の髪をずっと触りたい、と思っていて、ある日 勇気を出して髪を梳かせてくれないかと頼んだところ、ちょっとだけ驚いた顔をしてから(とてもかわいかった!)、彼女は快く了解してくれた。私の大胆な願いはかなって、私はその日から彼女の三つ編みをほどき、櫛で髪をとき、また髪を編み直すのが日課になった。
午前中の授業が終わってから昼休みになると、私はいそいそと支度をし、少しの荷物と、櫛と、リボンとお弁当を持って、保健室のある東校舎へ行くのが楽しみで仕方なかった。
そうして一緒にお昼ご飯を食べ、一緒に保健室を掃除し、午後の授業が終わってからまた保健室に行き、下校のチャイムが鳴るまでいっしょに本を読んだり、お喋りしたり、とにかく一緒にいた。
ある日、いつものように私が「また明日ね」と挨拶して帰ろうとすると、彼女が「明日は一緒に帰ろう」と言った。私は嬉しさの余り驚いて、思わず返事を忘れそうになったが、あわてて「うん、絶対だよ」と答えた。
私は彼女がどこに住んでいるのか知らなかったし、学校以外で彼女と会うことはなかった。特に決めてはいなかったけど、いつも別々に帰っていたから、彼女の言葉は思ってもみなかったことで、私はそうとうに浮かれた。
ああ、どきどきする。家に帰るまでの道のりが、今日は何だかふわふわする。明日、彼女と一緒に帰ることになるなんて。そういえば明日の天気は雨だったように思う。駅へ寄って、雑貨屋で傘を買っておこうか。折り畳みがいいかな。ついでに髪止めと靴下も新調しておこうか。ついこのあいだおこづかいを貰ったので、余裕がある。ああでも、明日ひょっとして寄り道して、なにかお店に寄るかも知れないから、あまりお金は使わずとっておこうか。どこを通るか分からないけど、ひょっとしてこのお店に明日二人で立ち寄ることになるかも。私は青い折りたたみ傘を買った。
家に帰ってからも、そわそわして落ち着かなかった。まるで、デートの前日みたいに(とはいっても女子校通いの私には、てんで縁がないけれど――それに、男の子なんかにこれっぽっちも興味はない)。
お風呂に入っているときも彼女のことを考えた。嗚呼 明日、帰るときに私は ビルの窓ガラスに映った彼女と自分の姿をちらりと見るだろう。スカートから伸びたこの足が、きっととても太く感じられるのだ。準備なんかするのに、そう 心の準備はとても一日じゃ足りない。
髪や体を入念に洗ってみた。なにか変るわけじゃないのに。浮かれている自分に嫌悪もするんだけれど、なにより嬉しくて嬉しくて、なかなか寝付けなかった。
彼女の隣を歩くのはどういう気分だろう。私の身長は彼女とあまり変わらないけれど―― 同じ制服を着ているのに、いつも思う。彼女のほうが制服がとても似合う。彼女はとてもかわいい。大人っぽくて、落ち着いていて、すごく素敵だ。好きだ。
私はおとなしいほうだけど、彼女といると、安らいで嬉しくなるから、つい声をあげてきゃあきゃあ笑ったり、子供っぽい仕草をしてはしゃいでしまう。心なしかいつもより口数も増えて、賑やかになる。一緒に笑う時も、彼女が困ったようにちいさく笑うのに対し、私はばかみたいにたくさん笑ってしまう。なにか彼女をお姉さんみたいに思ってしまう。私は春生まれで、彼女は秋生まれだった。彼女が私より後に生まれただなんて、信じられない。
ああそれでも決して自分をみじめだとは思わない。彼女には憧れるし、彼女のようになりたいとは思うけど、それは実は戯れで、大人っぽい彼女と子供っぽい私のいまの関係が、心地よく誇らしくてたまらない。私が彼女の隣にいると、彼女の彼女らしさがとてもひきたつから。子供っぽいこんな私のことを、彼女は好いてくれているのだから。ずっと続けばいいのに、と思う。私の時間はとうに止まっていて、もう彼女さえいれば成長も変化も必要ないのだ。六月のいまが、永遠に続けばいい。私は全く苦に思わない。
自分がこんなにも自信に充ち溢れるだなんて思ってもみなかった。いつもおどおどしている、小動物のように震えた、あの私はどこへ行ったのだろう。今も確かに、私という人間は気弱で、ひどく矮小なのだけれど、彼女と出会ってからは、どんな状況でも、たったひとつだけ誇れる強さを得られた。これがあれば私は幸せだ。なにもこわくはない。
あれこれ考えて瞳をきらきらさせていたら、いつの間にか眠ってしまった。
私はいつものように午前の授業をぼんやりと受け、昼休みに保健室へ行き、いつもと同じように彼女と挨拶を交わし、お弁当を食べ、掃除をし、いったん別れてから、放課後になった。下校のチャイムはまだだけど、ちょっと寄り道をするから、早めに帰ろう、と彼女。
「そういえば、どこに住んでいるの?」私は訊いた。すると、公園の横の団地、との返事。
この学校には正門と西門と裏門があって、私はいつも西門を使うのだけど、彼女は裏門のほうへ歩き始めた。「私、裏門通るの初めてだよ」「そうなの? ここは、花がきれいだよ」
見ると、たしかにコンクリートで補整された正門や西門の道とはちがい、裏門は草むらに囲まれた小さな小路があって、たくさんの草花が佇んでいた。
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もうその頃には、何をしても、誰を見ても、全部虫けら程度にしか感じられなかったので、わたしは、ある純粋で無害そうな女の子と仲良くなった。わたしは自分の美しさと魅力がどんなもので、どういった人間にそれが好まれるかというのを熟知していた。わたしは彼女をとても気に入った。
私は彼女に兄を紹介した。この無垢な少女も、男に恋して、人並に、俗物になればいいと思った。私も彼女も、偶像化された巫女になんてなれないので、そうして彼女が早く気高さを失い、醜くも淫乱になればいいと思った。みだらな彼女を愛したかった。
兄は自らの純情さゆえに病んでいたので、そんな兄と無垢な彼女はとても似合いだった。たまらなくみだらな感じがして、わたしはうっとりした。
わたしは気付けば彼女を愛しすぎていたので、彼女に口づけをし、みだらな遊びをした。色々な事を彼女に教えた。予想通り、彼女には素質があったらしく、彼女はたちまち私の望んだとおりの少女になった。綺麗な彼女がだんだんとみだらに、汚れていく様はわたしを夢中にさせた。
わたしはこの遊びをほんとうに素晴らしく思った。あんなに、一日でも早く死にたかったのに、気まぐれと強い自信のもとに、わたしは彼女を、そしてこの満たされる気持ちさえ手に入れた。
雨の降る公園で、わたしは学校帰りの兄を待ち伏せし、言った。「きょう、あの子をうちに連れてくるわ」 もとより兄には意志などない。なんと都合がいいのだろう。
それで、わたしたちは三人で愛し合った。わたしはずっと部屋の戸の前で座り込んでいたけれど、今でもわたしはそう思っている。
同じ空間に、わたしと、彼女は居たのだ。兄こそ偶像に過ぎない。わたしはずっと耳を澄ませ、体育座りをし、聞こえてくる音、吐息、声のひとつひとつをゆっくり飲みこんだ。わたしは待ちわびていた。ここにだけ真実がある。嗚呼、今は 誰も虫けらなんかじゃないわ。